何年もかけてジワジワと太り続け、やがて人から「あの人太ってるな」と思われて見られているのではと思うと、特に同じ女性の顔がこちらに向いているだけでも怖くなりました。
教師や親の心無い発言が突き刺さりトラウマに。ダイエットに成功、生活の変化によるリバウンド。
自制心がなくて太った私ですが、どうにもならない状況でリバウンドしている状況でもあります。
この25年、ずっと「太った」「痩せた」という言葉に振り回され続けています。
一番自信があった小学生時代
小学生の頃、私は周囲の中では背が高めで痩せていて手足が長いと言われていました。
父親似の細身の体形と顔だちで、当時人気のあった若手女優に似ているとも言われていました。
小学生の頃までは社交的でどちらかと言えば表に立って目立つタイプでした。
当時のアルバムを振り返っても我ながらこの頃が一番可愛かったなと思えます。
それくらい、どの写真に写る私もすらっとした体形で満面の笑顔でした。
中学入学後、急に太り始める
中学1年の時、徐々に体重が増え始めました。
それでも劇的に太ったというわけではなく、思春期の女子にはよくある範囲の変化でした。
この頃はまだ友達と写真に写ったりもしていましたし、夏には海へ行って水着姿で写真にも写っていました。
しかし3学期。担任教師から「お前、太ったなー」と言われました。
彼は特に他意もなく悪気もなく、単なる感想だったのでしょう。
けれど、初めて人から容姿についてマイナスな言葉を言われた私の心にその言葉は重く突き刺さりました。
人生で初めて人の言葉に傷ついた瞬間でした。
2年になると親からも指摘されるようになり、いじめの影響もあってか卑屈に。
修学旅行の写真を見て近くに写っている男子から容姿のことをけなされ、仲の良い友達同士での写真にも写らなくなり始めました。
それでもまだ、中学までは肥満と言えるほどの体形ではありませんでした。
高校では明るくなった、でも写真に写るのが怖い
高校は自分をターゲットにしていた男子がいなかったことと、見た目で人を蔑むような人はいなかったので性格的には小学生時代へ戻りました。
けれど体形は相変わらず太る一方。
体操服は下が短パンだったのですが、太ももをさらすのが嫌で「日差しにあたると痒くなる」という理由をつけて夏でもジャージを履いていました。
足が太いと思われているのではと思うと怖かったのです。
今思えば、自意識過剰で誰もそんなところ見ていないとわかるのですが。
しかし思い込みの力は強く、高校時代に撮った写真は入学式と修学旅行、卒業式のみでした。
修学旅行でも極力手で顔の一部を隠していました。
何より酷かったのが卒業アルバムの個人写真です。
まん丸の顔で、唇の横に頬肉が )( という状態でくっきりと影がありました。
さらに頬骨の上の肉は笑ったせいで持ち上がり、目は押し付けられて三日月のようでした。
隣に並んでいた男子と全く同じ顔だったことにショックを受けました。
「私は女の子の容姿じゃないんだ」
卒業アルバムは押入れの奥深くに押し込み、それ以来開いておらず、夫にさえ見せていません。
「私の姿が写真に残っている」ことが怖くなりました。
私の知らないところで同じ写真を持つ人や、それを見せてもらった人が、「この人すごく太ってる」と笑っているのではないかという妄想に囚われるようになったのです。
1人暮らしで不摂生に
短大に進学し、1年目は寮生活だったので不摂生はしていませんでした。
しかし、ストレスでノイローゼ気味となり寮を出て1人暮らしを始めてから、課題の多さや趣味などもない、田舎だから特に出かけるところもない。
そんな生活の中、深夜にコンビニへ行くことが増えました。
自分1人で食べていると思われるのが恥ずかしくて、「他の人の分も一緒に買っている」風に装っていました。
お弁当個、お箸も2膳。パンなら4~6個と飲み物を2本。
それらを深夜に一人で食べていました。
食べ終わった瞬間は満足感で充たされた気持ちになっていましたが、直後に「またこんなに食べた…」という罪悪感に襲われます。
それでも翌日の深夜になるとまた、ふらりとコンビニへ行って大量に買うのです。
挙句には商品が陳列される時間帯に出かけるようになっていました。
短大時代、最大72キロになった私は、LLサイズのダボダボズボン、男性用の無地のダボダボシャツという服装ばかりになりました。
スカートを履く場合もウエストゴムで足全部を隠すロングスカートで、上に羽織るのはかならずウエスト周りを隠せるもの。
太っている私は女の子らしい服装をするのは許されない、可愛い服を着るのは許されない、可愛い服は痩せている女の子のためのもの、という思い込みがありました。
明るい色合いも着るのは許されないのだと、黒、白、茶、紺の味気ない、安物ばかり着ていました。
長期休暇は自宅に帰らないわけにはいきませんでしたが、地元の友達とは一切会いませんでした。
表面上は何もなくても、別れた後に「太ってた」と噂されているのではないかと怖かったのです。
特に幼馴染は美人でスタイルが良かったため、私は隣に並ぶ価値もない、並ぶだけで幼馴染の評価を下げてしまうと思っていました。
成人式も、「太ったね」と言われるのが嫌で卒論を理由に帰省しませんでした。
母のひと言
当然、母親は太ったことを何かと口にします。
母自身もかつては太っていたのですが、なんとか痩せて維持していました。
自分がダイエットに成功して維持できていたからでしょう。
他人に対する見方がきつくなっていました。
そして、忘れられない一言を発したのです。
外出先で、私より倍以上も大きな体格の女性を見て、
「あんなに太って見苦しい」
「みっともない」
母は、声も届かないほど遠くにいる赤の他人に向けて発したのですが、私にとっては私自信に向けられた言葉にしか聞こえませんでした。
「私は“見苦しい”存在なんだ」
「私は“みっともない”生き物なんだ」
母は巷で見かけた人についてもテレビに映る太った芸能人に対しても、同じようなことを言いました。
そのたびに私は聞こえないふりをしました。
そしてついに。
「あんたも痩せないと見苦しいでしょ。外に出て恥ずかしくないの」
私は、人の目に映るだけでも「害」なんだと思わされる一言でした。
私は、見苦しくて恥ずかしい生き物。
そこで一念発起してダイエットに励めたら良かったのですが、私はさらに卑屈に後ろ向きになっていきました。
ダイエットのためにウォーキングする姿を人に見られたら、「太ってるからダイエットしてる」と笑われているのではと思ってしまったのです。
すれ違う人すべてが、赤信号で停まっている車の運転手すべてが道路を歩いている私を見て、太ってて見苦しいと思っているのではないかと思うと、下を向いて歩くようになってしまいました。
なるべく大きいバッグを持って、道路側に面した肩に提げてなるべくウエスト回りが見えないようにバッグで隠したりしました。
やむなく撮った写真もすべて捨ててしまいました。
写真という形で、「見苦しく恥ずかしい」私の証拠が残るのが嫌だったのです。
ダイエットのモチベーションは1枚のブラウス
短大卒業後、就職できなかった私ですが、体調を崩して実家へ戻ることになりました。
そこで規則正しい生活をするため、リバウンドしかけた体を戻したい母と一緒にウォーキングを始めました。
それと並行して、尊敬していた整体師の本を偶然図書館で見つけ、その本にならって自力整体を取り入れました。
学校で整体を習っていたおかげでコツを掴みやすかったため、早くから体の変化を感じるようになりました。
食事制限は元々母が料理を作ってくれていてバランスはとれていたので、おやつを食べないことにしました。
その代わり、カフェオレなどの甘い飲み物だけはどうしても我慢できなかったため、
「甘い飲み物は我慢しない。でもお菓子は絶対に食べない」
というルールを作りました。運動もしているので、あまりダイエットの意識が強過ぎると継続できないと思ったのです。
その「1つだけ自分に甘いルール」は正解でした。
始めた頃はお菓子の誘惑に揺さぶられましたが、いつの間にか冷蔵庫にアイスやチョコレートがあっても気づかなくなっていたのです。
以前なら板チョコ1枚を一瞬で食べていたのに、言われるまでチョコがあることに気づかないのです。
うちの家族はアイスが大好きなので早い者勝ちなのですが、10個あったアイスを1個も食べないまま全部なくなっていることが当たり前になりました。
最初は己を自制して誘惑を我慢しなければなりませんが、それが当たり前になってくると誘惑がそこにあることに気づかない、誘惑に対しての興味がなくなってしまったのです。
「お菓子食べる?」と聞かれても、食べたい欲求もないし興味もないから「いらないや」となったのです。
勿論、おもてなしで出されたお菓子は失礼のないよう食べていましたが。
そして2年がかりの「ウォーキング」「自力整体」「1つだけ自分に甘いルールの食事制限」で、マイナス20キロに成功したのです。
うちは昔から猫を飼っているので、「うちの猫、約4匹分」と思うとぞっとしました。
20キロ増と言われるより、猫4匹がお腹にくっついていたと考えたほうが見た目で質量がわかるので、どれほど幅のある体をしていたのだろうと客観的に自分の容姿を想像できたのです。
そして。
ダイエットのモチベーションを支え続けていた服を数年振りに手に取りました。
太る前、中学生の頃に買った、イエローの花柄のブラウスです。
その時点ですでに古い形だったとは思いますが、私はなぜかこのブラウスへの思い入れが強く、太ってから着れなくなった服を処分した中でも、これだけは捨てられませんでした。
ダイエットを始めてから、このブラウスをハンガーにかけ、部屋の一番目立つところに吊っていました。
「絶対にもう一度、これを着るんだ!」と。
念願が叶って着れるようになったブラウスは、色褪せてさすがに外出に着ていくには憚られるくらいになるまで数年着倒しました。
Top image via Weheartit
written by ひふみちゃん
-20kgのダイエットに成功するも、環境の変化でリバウンド。今の私がたどり着いた考え[体験談](2)に続きます。